Joe’s Day

お散歩 in LA


*池の向こうに見えるのが島。パームツリーがロスらしい。
ロスに帰ってきて約3週間ほどが過ぎた。
最初の1週間は毎日雨で、さすがにちょっとうんざりしたが、それから
だんだんお天気も回復して、今日はと〜〜っても良いお天気!
なので久しぶりに公園に散歩に行う。
いつもなら車で行くのだが、近所だしお天気も良いので、今日は
自転車で出かけることにした。
目指すは近所にあるアランドラパークという公園。自転車でも5分ほどで
着いてしまう。ここは真ん中に島があり、周囲を池が取り囲む。
隣にはゴルフ場があるので、高い建物は全くなく空が広い。
ここは昔毎日のようにゴルフの練習場に通ったり、子供たちが
小さい頃はよく散歩に来たりした場所だ。
週末になると多くのグループが、家族連れや友人同士で集まり、
そこらじゅうでバーベキューパーティーで賑わっている。

今日は平日なので人が少ない。ぶ〜らぶ〜らと自転車で池の周りを回っていると、
カモメ、鳩、鴨や、名前も知らない水鳥達が楽しそうに遊んでいる。
遠くから鳥達の大きな声が聞こえてくるので、そちらの方に行ってみると、
親子連れが鳥達にエサをやっていて、すごい数の鳥達が集まり、大騒ぎになっていた。
アヒルがあまりにも側にやってきて怖がる子供。それをなだめながら
エサをやる親、その光景をニコニコしながら眺めている別の親子。
本当に空気が柔らかい。こんなホノボノとした気持ちになるのは
いつ以来だろう。
少しお腹が空いたので、公園から大通りを渡ったところにある
タイレストラン『バンコク・サファイア』に行くことにした。
ここはまだロサンゼルスにタイ料理ブームがやって来る前から
繁盛していた店。なんでもとても安くて美味しい。
本当はここのローストダックが大好きなのだが、ひとりでは
食べきれない量なので、今日はイエローカレーを食べることにした。

まずはお決まりの「Singha」ビール。店内はお昼時とあって、
結構混雑している。店の中の音が面白いからレコーダーを
取り出して、録音してみた。
そうこうしているうちにイエローカレーが到着!
うぅ〜〜ん、、、美味い! でもこんなに甘かったっけ?
もちろんタイカレーだからぴりりと辛いのだが、かなり甘みも強く、
日本で食べるタイカレーよりもかなりマイルドだ。
これは、アメリカ人は、人種差はあるにせよ、あまりスパイしーな
食べ物は食べないからだ。最初にタイレストランがロスに出来始めた頃、
最初は辛すぎて誰も食べに行かなかった。そこであるお店がスパイスを
控えて、甘みを強調したところ、甘いもの好きのアメリカ人にウケ始め、
間もなく、タイフードブームがやってきたんだった。
まあ、日本のインド料理みたいなものだね。その土地の風土に合うように
変化していったわけだ。
こんなにお天気の良い日にビールを飲みながらタイフード。
あぁ〜〜、やっぱ、ロスはいいなぁ〜〜
なんて思いながら、新宿の飲屋街「思い出横町」も懐かしく思う。
ロスも東京もやっぱり大好きな街だ。

Flying to LA


*写真は庭に咲いていたハイビスカス
昨日はいつものように、新宿西口からリムジンバスで成田へ。
友人の話によると、アメリカ行きの乗客はチェックが特に厳しいから
早めに空港に行った方がいいよ、というので、いつもより早めに出発。
今回は珍しく全日空。というか、太平洋路線で乗るのは初めてかも。
カウンターに行ってみると、、、あれれ?レントゲン検査は?
セキュリティーの人達は? なぁ〜〜んもないぞよ。
するするとカウンター脇まで案内されてチェックイン。
荷物が重いからなんだかんだ、、、あれこれあったはいいとして、
すんなり手続き完了。とんでもない厳重なチェックを覚悟していたので
肩透かしを食らったよう。こんなに荷物のチェックが無かったのって
初めてだ。
さて、たっぷり時間もあるので、お買い物・・・といきたいのだが、
この第一ターミナル、初めて来たことに気がつく。というのは今までは
ほとんど「J」からはじまる航空会社に乗っていたので、第二ターミナル
しか行ったことが無かったのだ。うぅ〜〜、勝手がわからん。
お買い物してお昼食べて、そろそろゲートへ。
おっ、なにやら警備員が山のようにいるぞ。館内アナウンスで、
「全日空でアメリカへご出発のみなさまへ・・・・」とか言ってる。
このゲート前でボディーチェックやるんだってさ。まあいいけど。
オッサンに身体さわられて、オネエチャンに手荷物ごそごそのぞかれて
無事通過。
そうこうするうちに機内へと移動。あれれ? エコノミーなのに
座席が気持ち広いぞ。なんでもプレミアムエコノミーだそうだ。
これいいわ。楽チン楽チン。映画もオンディマンド。
チャンネルもすごく多い。う〜〜ん、、、企業努力してるんだね。
こりゃ「J」もあんなになっちゃうわけだわ。(笑)
いつものように、一番眠くなりやすい赤ワインをたっぷりいただき、
食事を済ませ、またワインをいただき、、、そうこうしているうちに、
スリーピングタイム。次に起きた時は、朝食をサーブする直前という
絶妙のタイミングで目覚めた。こんなによく寝れたのも久しぶり。
さて、そうこうしているうちに、飛行機は無事ロサンゼルス空港に着陸。
お天気がいい! 暖かい! しかし、難関が・・・
僕のような永住者が、長期で海外に滞在していると、必ずイミグレーションで
いろいろ聞かれ、場合によってはお小言を言われる。場合によっては
別室に連れていかれ、取り調べを受け、最悪の場合、永住権をはく奪
されたりするそうだ。とほほ・・・
列に並び、自分の番がまわってくる。優しそうなおじさんだ。
この人、なんといっさい話さない。あれ? 黙ってコンピュータに
僕のデータを入力して、過去の入出国記録を見ているのだろう。
なんだか気まずい沈黙。おぉ〜い、なんか言えよ。
すると黙ってスタンプに手が行く。あれれ? 期待しつつ見ていると、
入国カードとパスポートに『カシャン!』
「Welcome home !」
僕が一番好きな瞬間だ。いつもアメリカの税関の人が言うセリフ。
これを言われると、「帰ってきた〜」と思う。

Back to LA


*写真は本文とは関係ありません
早いもので、もう1月も半ばまできてしまいましたね。
そんなわけで(?)明日からロサンゼルスに帰ります。
最後に帰ったのは去年の2月なので、ずいぶん長い日本滞在と
なってしまった。もちろん東京の街は大好きだけど、
やっぱりアメリカの生活の方が長いので、ときどきは帰らないと
なんだか体調がよろしくない。(笑)
そんなわけで、しばらくロスに帰って、身体と心を休めてきます。
そして たっぷり充電して、また東京に戻ってきます。
では、いってきま〜〜す!

Happy 2010 !!


皆様、明けましておめでとうございます。
2009年はとても充実した年でもありましたが、
達成出来なかった目標も多くあり、
嬉しくもあり、残念でもあった年でした。
今年はそれらをすべて今の自分の足場として、
新たな飛躍を目指して頑張っていこうと思っています。
どうかこれからもご支援のほどよろしくお願いいたします。
この2010年が、皆様にとって本当に素晴らしい年に
なりますよう、心からお祈りしております。
ジョー奥田

2009年を振り返って

さてさて、2009年ももう終わりを迎え、新しい年がやってこようとしています。
そんなわけで、毎年恒例の「振り返って」シリーズ2009年度版とまいりましょう。
    *  *  *  *
[ 1月 ]
Newyear_s.jpg
2009年は不思議な年だった。我々の業界は通常、1,2,3月はヒマ、
というのが例年のことなのだが、2009年は1月早々から打ち合わせが
ロスに帰る直前まで続いていた。
そして、2月に2本のライブをやることになったため、ロス滞在の
期間を短くしなければいけなかった。
う〜〜ん、、、珍しい。年明け早々こんなに忙しくなるなんて・・・
そんなことをいつも思っていたように記憶している。
[ 2月 ]
ロスから東京に戻るなり、レクサスの新車発表会でのライブがあった。
この時はNSOとしては初めてダンサーとコラボするということで、
どうなることかと思っていたが、フタを開けてみると、予想以上に
良い出来だった。
それにしてもこの日はバレンタインデーということで、尚之ファンが
山のようにチョコレートを持ってきてくれた。僕と全さんも「義理」の
プレゼントを山のようにもらい、楽屋は紙袋の山だった。
帰りは両手で持てないほどのチョコレートをかかえて、えっちらおっちら
帰ったのを覚えている。
その頃からある施設の人とやりとりが始まり、今まで自分がまったく
知らなかった世界を見る機会に恵まれ、改めて自分のやっていることの
意味や、これからやっていくべきことなどを深く考えさせられた。
nightsky_01.jpg
[ 4月 ]
気が狂うほどの忙しさだった1,2,3月が終わると、それこそ「パタッ」と
音がするほどヒマになった。この月はラジオに1本出演しただけで、
それ以外はずっと遊んでいたように思う。
日立市のプラネタリウムへNSOの番組を見に行ったのが良い息抜きだった。
そして、月末には3月に仕上げた、高砂さんとのDVDがいよいよ完パケとなり、
無事、発売発表が出来てホッとしたっけ。

[ 5月 ]
4月に引き続き、5月も案外ヒマだったように思う。ただ、打ち合わせが
結構入っていて、毎日誰かと会っていたようだ。
20日にはジョー・高砂DVDの1作目が無事発売となった。
5月の後半からは2作目の制作が始まるのが判っていたから、
その構想を練っていたときだった。というもの、この2作目は水中のシーンが
ほとんどで、それをどう表現するのが良いのか判らず、毎日悩んでいた
ように思う。
[ 6月 ]
radioStudio.jpg
6月は忙しい月だった。前半は仕事場にこもってDVD制作、
後半は白金プラネタリウムバーでのトークライブがあり、
その間にラジオの収録が6本もあった。
確かコンピュータが壊れて、大慌てで買いに行き、やっとの思いで
データ復活させるという大騒動があったのもこの月だったと思う。
[ 7月 ]
NHKradio.jpg
今月も盛り沢山な月だったので、箇条書きにしてみる。
*「Touch the Wind」の YouTubeでの配信が始まる
*DVD第2弾「Feel the Water」が発売になる
*JFN「ハートオブアロハ」に出演する
*NHKラジオに出演する
*松山大学で講演
*松山ブエナビスタでトークライブ
*奄美大島に皆既日食の森の音を収録に行く
*奄美大島でNHKの元キャスターの宮崎緑さんとトークライブ
*スズメのピーコと出会う
こうやって書き出してみると、本当に忙しい月だったのが判る。
嬉しかったのは、初の全国ネットのラジオ出演となった、NHKの
朝の番組に出たことだろうか。「ラジオ聴きましたよ」と
多くの人から連絡をもらったことからも、やっぱり全国ネットは
すごいな〜、と思ったものだ。
しかし、なんと言っても一番衝撃的だったのは、スズメのピーコに
出会ったことかもしれない。(笑)

[ 8月 ]
2009.8.23_Live.jpg
この月の大きな出来事は、23日に青山でNSOのライブをやったこと
だろう。2月末にプラネタリウムでライブをやって以来だから、
およそ半年ぶりのライブとなった。本当はもっと頻繁にやりたいのだが、
スケジュールやタイミングがうまく噛みあわず、延び延びになっていた。
この時のライブは光アーティストの松尾さんとの初コラボ。
彼の映し出す映像の美しさは、本当に素晴らしかった。
8月の後半は高砂&ジョーDVDの3枚目の制作に追われていたと思う。
今回はシリーズ最後ということで、特に気合いが入っていたせいか、
時間がかかってしまい、予定されていた発売日を少しずらすことになった。
発売日をずらしてでも作品のクォリティにこだわったジェマティカレコーズには
本当に感謝している。
8月末の僕のブログでソニーとマルイの共同企画CDのお知らせをした。
これは、溝口肇、村松健、日向敏文、中西俊博、高下次郎、松谷卓、
羽毛田丈史、比類いづみ、島田璃里、Arico、G-CEF、等々という
豪華な顔ぶれのアーティストの楽曲を自然の音でつないでいった
作品なのだが、NSOとはまた違う趣で、やっていても楽しかった。
[ 9月 ]

8月末に完了させる予定だったDVD制作が9月初めまでずれこんで、
おかげで時間に追われることなく、じっくりと良いものを作ることが出来た。
振り返ると2008年の6月くらいに最初の打ち合わせをしたように思うので、
1年以上このプロジェクトに関わってきたわけだ。
それが完了した達成感と解放感はかなりなものだった。しかし続いていた
緊張が解き放たれることで、少々の脱力感におそわれたことも事実。
月の後半はなんだか抜け殻のように過ごしたような記憶がある。
[ 10月 ]
この月の最大の出来事は、僕が長年お世話になったSさんが亡くなられた
ことだろう。父を亡くして以来、あまり身近なところで死に出会うことが
なかったこともあり、本当にショックだったのを覚えている。
しかも亡くなられた日が僕の誕生日の翌日。ご命日は一生忘れることはないだろう。
[ 11月 ]
2007年にNSOをスタートさせたとき、最初に拠点としたのは六本木ヒルズにある
MADOラウンジだった。ここで月に1回くらいのペースでライブを続け、
NSOの今のスタイルを作っていった思いでの場所だ。
その2年ぶりのMADOラウンジでのライブは感慨深いものがあった。
東京の夜景をバックに、自然音と音楽、というのはかなりシュールな
情景ではあるのだが、それが不思議とぴったりハマってしまうのが面白い。
またここではやりたいものだ。
そしてもうひとつの大きな出来事は、僕が監修し、関わったプロジェクト
「安心音」が『2009年東京ビジネスサミット』で大賞を受賞したことだ。
プロジェクトリーダーの方に最初に会ったときには、思いが先行しているが、
ノウハウが足りない印象だったのだが、彼女の熱意がそのギャップを埋め、
見事花を咲かせたわけだ。
やはり人の「思い」というのがどれほど力強いものなのかを改めて
実感させてもらった。
[ 12月 ]

12月は静かな月だった。かなりの頻度で明治神宮に出かけ、録音し、
写真を撮った。実はこれから自分の表現手段のなかに、写真というものを
加えていこうと思い、改めて写真を撮る練習を始めていた。
写真を撮ることは、音を録ることにとてもよく似ている。
森を歩きながら、自分にとって「美しい」と感じるものを捕らえる。
写真はその瞬間を、音はその時間を切り取るわけだ。
録音してみると、実際に聞いていた音とは違う風に録れてしまうことが
良くある。というより、実際に聞こえている通りには録れない、
と言う方が正確かも知れない。
同じように、写真に撮ってみると実際に見えていた通りには写らない。
その差を埋めていくのが技術なのだと思う。
今後、この写真と音という2つの表現が合わさった作品となっていったら
いいなと思う。
    *  *  *  *
そしていよいよ今年も残すところあとわずか。
この一年を振り返ると、本当に沢山の人に助けられ、支えられながら
過ごしてきたことが良く判る。
皆さん、この一年、本当にありがとうございました。
そして来年も「ジョー奥田」と「NSO」をどうぞよろしくお願いします。    
    

我が家に海老がやってきた!

今日の早朝、ピンポーンと玄関のチャイムが鳴る。
「はぁ〜い」
「宅配便で〜す」
「はぁ〜い」
なんだろう? 心当たりがない。サインをして受け取ったのは
40cmx25cmくらいの段ボール箱。
そして、なんと、『活け海老』というシールが貼ってあった。
送り元は、大分県にある水産会社。送って下さったのは、
以前、鮎を送ってくれた会社だった。ありがたいことだ。
・・・・が、
『活け』ってどうゆうこと? 生きてるの? 跳ねるの?
頭をよぎったのは僕が子供の頃の体験。
ある日、家にやって来た箱を開け家族でのぞき込むと、
中にはおがくずがいっぱいに入っていた。
なんだろうね、という間も無く、ぴょんぴょんと何かが飛んで出てきた。
家族全員、『ひぃえ〜〜〜!!』と叫ぶ。
それは活きたまま送られてきたシャコだった。
我が家の台所の床中に、脱走を試みるシャコが四方八方に
走り出していた。大捕り物の始まりだ。
もちろん、追いかけるのは父と母。まだ幼かった僕と姉は
ぎゃあぎゃあ叫びながら、逃げ回っていた。
そんなわけで、『活け』の字がその記憶を蘇らせた。
さぁ〜て、どうしたもんか、、、まず物知りの友人に電話した。
ともかく開けてみろ、ということで、恐々開けてみる。
発砲スチロールの箱は厳重にガムテープで止められていた。
とほほ・・・
カッターナイフでぐるりと切れ目をいれ、そ〜っとフタを開けてみた。
うう、、、、出た〜〜、お・が・く・ず・!!
また記憶が蘇る。
眺めていてもしょうがないので、長いハシでそ〜〜っと
おがくずの中を探ってみた。
何かがいる!!(あたりまえか)
それをハシでつまんで、そ〜〜っと持ち上げてみると・・・
見事な車海老! しかも動いていない。良かった〜〜!
どうやら死にたてのホヤホヤって感じだね。
これ以上フレッシュはないだろう、というくらい瑞々しい色をしていた。
動いていないのなら大丈夫。
一匹一匹、ざるに移し、教わった通り塩水で洗ってお皿に並べた。
まぁ〜〜、見事な色!
海老達をお皿から2つのタッパに移して、ふたをして、冷蔵庫へ。
ふぅ〜〜。意外と簡単だった。
そんなわけでしばらくは海老三昧が楽しめそうだ。
お送り下さった方、本当にありがとうございました! m(_ _)m

MADOライブ無事終了


ちょっと時間が経ってしまったが、先週の土曜日、六本木ヒルズの
MADOラウンジでのライブが無事終了した。
当日のお昼頃、全さんから電話。
「今朝から体調が悪く・・・」
ええ〜〜!?
「車の運転は無理なので、電車で行きます。
なので、申し訳ないですけど、迎えに行けません。」
あらら〜〜、迎えはどっちでもいいんだけど、体調、大丈夫だろうか。
でも、来れるだけ良かった。一瞬、最悪の事態が頭をよぎったので、
来れるということを知っただけで、ひとまず安心。
さて、会場入りすると、全さんの目が死んでいた。
あらら〜、相当具合悪そう。大丈夫?
「ええ、なんとか・・・」
ステージ設営が少し時間的に押して、開場30分前に音出しする。
特に問題なし。というか、いつもより音が良い。
これはシステムが良くなったことに加え、会場が吹き抜けになっていて
天上高がとても高いことが大きく影響しているようだ。
ささっとリハをすませ、控え室へ。
全さんは相変わらず半分気を失っているような感じだ。
しかも今日は全さんが初めてNSOでギターを弾く予定。
「もし大変だったらピアノでもいいよ。」と言うと
「いや、大丈夫ですよ。」
・・・って、全然大丈夫そうには見えないけど。
そんなわけで始まった1回目のステージ。
全さん、尚ちゃんの新曲で無事ギターを弾き通してくれた。
そしてその次。このシーンは全く打ち合わせが無い。
僕の希望としては、「何をやってもいい。感じたまま弾いて欲しい。」
というある意味ものすご〜くコワイ状況。
そういうスリルも面白いかなと思って、そんなセクションを作った。
そして、これがまた見事に美しいシーンとなった。
NSO,成長してる! そう感じた一瞬だった。
・・・と思ったのもつかの間
「Eclipse」で僕が大失敗。曲の途中で音が途切れてしまうという
絶対にあってはいけないことをしてしまった。
これは完全に僕のミスだった。
でも、全さんと尚ちゃんは動ずることなく、見事にフォローしてくれた。
ふぅ〜〜
そのお詫びの意味もあって、最後に「AYA」を演奏した。
2回目のステージはさらに、そして3回目は最高に調子が良く、尻上がりに
どんどん内容が良くなっていったのが嬉しかった。
2年ぶりのマドラウンジ。この東京を一望する夜景と自然音とNSO。
この組み合わせは本当に大好きだ。ある種、シュールな状況でもあるし、
なのに、何故かピッタリと世界が出来上がっている。
来て下さった皆さん、本当にありがとうございました。
また、来年も是非やりたいと思いますので、どうぞお楽しみに!

安心音

webshot.jpg
僕は「賞」というものに縁がない。今まで賞をもらった記憶すらない。
おそらく小学生の頃に水泳でもらったのが最後かもしれない。
そんななか、僕がかかわったプロジェクトが賞をもらった。
今月初めに東京ビッグサイトで開かれた「東京ビジネス サミット」で、
『安心音』というサービスを提供している「癒しの心音社」が
大賞を受賞した。
これは妊娠中の母親の心臓の鼓動を録音し、それをCDにするという
プロジェクトなのだが、それに僕の波の音をミックスしたバージョンも
同時に提供している。
母親の心音のCDを生まれた子供に聞かせると、とても安心して
眠りにつけるそうで、幼児のメンタルケアにも大きな効果があるそうだ。
確かに母親の胎内で聞いていた音を聞くことで心が安まるというのは
直感的にも理解出来る。実際に心音の効果は医学的にも証明されていて、
例えば子供が大きくなってからでも、母親との絆を感覚として確認
することが出来、引きこもりや自閉症になった子供達にも効果があるそうだ。
母親の心音を聞くことで、親子の信頼関係の改善に劇的な効果があるらしい。

そんなわけで受賞の知らせを受け、早速お祝いに出かけていった。
あるある! 大賞のトロフィーが!
今まで賞をもらったことのない僕は早速トロフィーを持たせてもらって
写真を撮った。
この「癒しの心音社」が提供しているサービス、なかなか面白いので、
興味のある方は是非チェックしてみてください。
*安心音のサイトはこちら

Sさんの死

先週、Sさんが亡くなったとの知らせをもらった。
僕の誕生日の翌日だった。あわてふためき、取るものも取り敢えず
ご自宅へと駆けつけた。そこには生前と変わらぬ笑顔をたたえて
横たわるSさんがいた。今にも起きてきて、「お〜〜」と
手をさし出してくれそうなほどの安らかなお顔だった。
Sさんは僕の友人のお父様で、僕が中学の頃、歩いて数分の
ところに住んでおられた。その後転勤されたが、友人に会いに
行く度にお会いし、食事をご馳走になったりしていた。
そして20数年の月日が流れる。
3年ほど前、僕が東京に拠点を持ち住み始めた頃、Sさんが横浜に
住んでいらっしゃることを知る。すぐに会いに行った。
Sさんは「お〜〜」と手を差し出し、握手してくれた。
その日は鳥鍋をしようということになり、僕が作った。
僕と同様、濃い味が好きなSさんはとても美味しそうに食べてくれた。
「またこの鳥鍋を作りに来てくれ」
それから月に一度くらいのペースで鳥鍋を作りに行った。
毎回、とても美味しそうに食べてくれて、本当に喜んでもらえるのが
嬉しかった。僕の父は亡くなって10年を越えたが、Sさんは
父にとても似ていた。それもあって、まるで自分の父親にやり残した
親孝行をさせてもらっているような気がしていた。
Sさん一家は僕のことを、僕の両親や姉が呼んでいたように
「たけちゃん」と呼ぶ。
僕が仕事で忙しくてなかなか行けない時、Sさんは
「たけちゃんはどうしてるんだ。また鍋を作りに来るように言ってくれ」と
お母様や友人に伝えていた。
入院されてから1度だけ前日に鳥鍋を作り、それを病院に持って行った
ことがある。それを美味しそうに食べる姿が最後となった。
死は人間が誕生するのと同様に、祝福されるべき出来事だと思っている。
ひとつの人生を無事に全うしたことに対して、おめでとうと言って
しかるべきだと思っている。
そう考え始めたのは、父の死をむかえる直前だったと思う。
それでも父が死んだ時は泣いた。本当に悲しかった。
残された者にとっては、やはり悲しいには違いないのだ。
別れるということはやはり心引き裂かれるように痛い。
僕のことを自分の息子のように可愛がってくれたSさん。
またいつかどこかで会いましょうね。
それまでは、「さようなら」
そして、これからもよろしく!

オンザロック


僕が『オンザロック』と言うと、お酒の話だとお思いだろうが、今回は違う。
ある日、いつものように明治神宮を散歩していたら不思議なものを発見。
宝物殿の前にある広いはらっぱの真ん中にに流れる小さな川。
そのほとりにいくつか大きな岩があるのだが、その岩の中のひとつに
丁寧に文章が書かれているのを見つけた。

写真を見ていただけるとお判りのように、とても丁寧に書かれている。
良く見てみると、英語ではない。僕には何語なのかも判らない。
なんだか詩のようにも見えるのだが、さっぱり内容が判らない。
誰が、何故、そして何を書いたのだろう。
もし判読出来る方がいらっしゃったら、教えていただきたい。