自然音の録音について

フリッツ君

僕の使っているマイクについて少しお話しよう。
このマイクはちょっと特殊なマイクで、『バイノーラルマイク』という。
これは人間の頭の形をしていて、表面も人間の肌と同じ音の反射具合にしてある。
fritz_head_01.jpg
そして精密に作られたゴムの耳がついていて、鼓膜の位置に高感度マイクが備え
られている。
fritz_ear.jpg
どうしてこういう形をしているかというと、人間が音の立体感や
音の方向を認知するのは、聞こえてきた音が耳で感知されるときに、その左右の
耳の距離の差により時間差が生じ、それによって脳が立体感や距離感、方向などを
判断する。また、音が顔や耳の形により反射したり、回り込んだり、干渉したりして
鼓膜にたどりつく。そういう人間の聴覚を正確に再現する目的で作られたマイクなのだ。
このマイクで自然音を録音すると、極めて臨場感のある、360度の広がりを持つ
立体的な音が再現できる。このマイクを使って自然音を録っている人は、世界中でも
数少ない。僕がこのマイクを使う理由は、自分が表現したい世界に極めて近い音場を
再現してくれるからだ。僕は、例えば森を録る場合、単体の鳥や風やせせらぎを
録りたいのではなく、全体をひとつのシーンとしてとらえ、それを切り取って
人に伝えたいと思っている。そこに鳥がいて、風が吹き、水が流れ、そういう
シーン、空気感を伝えたいと思っている。そのためにはこのマイクが最適だと
思うので、ずっとこれを使っている。
僕のバイノーラルマイクはドイツのノイマンという会社が作っているKU-100 という
モデルだ。これが結構重い。だからフィールド録音する人には避けられているのかも
しれないが、これで録った自然音はたまらないくらい臨場感がある。
どれくらい臨場感があるか興味のある方は、このブログの「サウンドギャラリー」に
リンクを掲載した「Nagi」の音をヘッドフォンで聴いてみて欲しい。音の良い
ヘッドフォンで聴くと、ぶっとぶくらい生々しい波の音が聴ける。
僕はこのマイクに『フリッツ』という名前をつけた。ドイツでいう『太郎』みたいな
名前だ。フィールドで録音するときは単独行を基本としている僕にとって、唯一の
パートナーと言っていい。彼とは本当にたくさんの旅を共にした。一緒に旅を
重ねるごとに、彼にキャラクターが芽生えて来たように思うことさえある。
ほとんどの場合ひとりで旅をするので、自分の写真より彼の写真の方が圧倒的に多い。
彼の思慮深い、哀愁漂う後ろ姿はなかなかグッとくるものがある。

fritzcover_01s.jpg

*そんな彼の写真ばかり集めたムービーです。
 興味のある方はこの画像をクリックしてみてください。

夜の森

僕は自然音の録音を始めた頃、絶対に夜の森には入らなかった。それは夜の森の怖さを
なんとなくではあるが、知っていたからかもしれない。『夜の森は魔物の世界』と
言われる。ある意味それは正しいと思う。夜の森には夜の森の精がいると思う。
それは自然音の録音を始めたばかりの頃に体験したことが、自分の中で夜の森に
対する畏怖の念として育っていったからだと思う。

それは伊豆大島での出来事だった。
まだ自分でフィールド用の録音機材をそろえたばかりの頃だった。
ある人の紹介で、伊豆大島に住むご夫婦と知りあった。そして僕がやっていることに
とても興味を持たれて、是非大島に遊びに来て下さい、と誘われた。
ひょっとしたらそのときは社交辞令でそう言ってくれたのかもしれないが、
僕はそういうことを真に受ける方だ。来てくれ、と言われたら行ってしまうのだ。
そのご夫婦はとても親切な方達で、社交辞令ではなく、本当に快く向えてくれた。
伊豆大島は人口一万人少々の小さな島だかが、神社やお寺がやたら多い。
その中でも特に気に入った神社があった。小さな神社で、森の奥の方にあるのだが、
なにか自分にぴんと来るものがあったのだろう。そこがとても気に入っていた。
そして、是非満月の夜にその神社で録音したい、と思ったのだ。そしてその夜、
午前4時頃に神社に到着し、木々に囲まれた小さな祠の雨戸を開け、中に入った。
何を考えていたのか、僕はその祠の雨戸を全部取り外し、その真ん中にマイクを
立てた。そしてテープを回し始めた。おかしなことが起きたのはその時だった。
それは、突然ではなく、夜の霧のがやってくるように、ゆっくりとやってきた。
自分がヘンになってきたのだ。まるで自分の中に別の人格が宿ったように、
自分が自分でなく、他の人格が意識を支配し始めた。そして自分が神であると
思い始めた。そして、祠の外を取り囲むように設えられた渡り廊下をゆっくりと
徘徊し始めたのだ。顔は紅潮し、身体が熱くなってきていた。ぐるぐると廊下を
歩き回った後、なんと僕はご神体が奉ってある真正面にどかりと座り込んで
しまった。
そうすると、今度は夜の動物達がぎゃーぎゃーを大きな声をあげ始めた。
そしてだんだん朝の世界が近づいてきた。外は夜の世界と朝の世界の交代劇が
激しいグラデュエーションのように繰り広げられていく。
そうこうするうちに、夜の動物達はねぐらへと戻り、遂には日が昇り、森は鳥達の
さえずりで満たされていく。その一部始終を録音したのだ。
しかし、自分のなかで起きている変化は戻る様子がなかった。ヘンなのだ。
誰かが自分の中にいるのだ。それはその日一日中続いた。

この体験以来、僕は夜の森にはいることを躊躇するようになったのだが、
あの夜の世界と朝の世界のグラデュエーションの美しさと魅力の虜になってしまった。
その後、夜の森にはいるようになったのは、奄美大島に行ってからである。

録音と写真

自然音の話をするときに必ず例にするのが写真である。
ときどき聞かれることなのだが、どんな機材を使って録音しているのですが?
という質問されることがある。そしてそれを教えてあげると、
「じゃあジョーさんと同じ機材を用意して、自然の中で録音すると
同じ音が録れるのですね?」
と言われる。大きな勘違いである。そういうときは、
「じゃあ、あなたがアンセルアダムスと同じカメラを買ってヨセミテ公園に行けば、
彼と同じ写真が撮れると思いますか?」
と答えることにしている。そうすると、必ずみんな「あっ、そうか!」と
気がつくようだ。ただ誤解しないでいただきたいのは、僕は自分が特別すごい
秘密のテクニックを持っているというわけではない。むしろ逆で、録音に関しては
長年スタジオで仕事をしているエンジニアの方の方が、技術ははるかに上のような
気がする。そういうことではなく、あくまで自分と自然の関わりあい方の問題なのだ。
equip_01.jpg
何を録りたいか、どういうときに録音ボタンを押すべきか、ということかもしれない。
それはシャッターを押すタイミングと似ているかも知れない。
それ以外のテクニックといえば、どこにどういうふうにマイクを立てるか、
ということくらいのもので、本当に特別なことでもなんでもない。
誰でも機材の使い方を覚えれば、それなりの音が録れるかもしれない。
それがその人の自然との関係なのだ。それが如実に現れてしまうのが音の世界
というものだと思う。
自分でも昔に録ったものを聞きなおしてみたときに、うあぁ〜〜、ひで〜〜!と
思うことがよくある。それは技術の稚拙さもあるが、やはり自分の自然との関わり方の
問題なのだと思う。ひょっとすると、それを感性と呼ぶのかも知れないが、自分の
耳を研ぎ澄まし、聞こえてくるものをひたすら『聴く』ということが大事だと思う。
自然はほとんどの場合、何かをくれようとしている。そのくれようとしているものを
その時に、きちんと受け取るかどうか、ということのような気がする。
多くの場合、うっかりして受け取り損なうのだ。ああ、しまった、もう一度、というのは
自然には通用しない。一度逃してしまったものは、絶対に還ってこない。
それを惜しんでいるより、次にくれようとするものをもらう用意をしていればいいのだ。
始めた頃はそのへんの呼吸というか、考え方が出来ていなかったのだと思う。
それが少し解り始めたのは、ひとりで夜の森に入るようになってからかもしれない。

God Made Sound

僕はあるときから自分の肩書きをそれまでの『音楽プロデューサー』から
『自然音録音家』に変えた。英語表記で『Nature Sound Artist』。
それはこれを一生続けていくのだ、という自分に対する決意だった。
自然の音を録音し始めてもうずいぶんになるが、それほどの決意を持ったのは
実はそれほど昔のことではない。

きっかけはいくつかあるような気がするが、ひとつは自然音の本当の美しさに
気がついたことかも知れない。
ある日、ロスの自分のスタジオで、奄美大島で収録した波の音を聞いている
ときのこと。波の音が、それまで聞こえていた感じとはまったく違って聞こえ始めた。
「ん? なんだこの美しさは! すごい!すごすぎる!!」
完璧に美しいと思った。『Perfect=パーフェクト』
本当にパーフェクトな美がそこにあった。
なぜこれほど美しいのだろう? そしてはっと気がついた。
自然音は、神がつくった音だからだ! だから完璧に美しいのだ!!
神が創った音=『God Made Sound』
それから今まで聞いていた自然の音が、まったく違って聞こえるようになった。
今まで長年音楽の世界にいたわけだが、音楽は人間が創った音。『Man Made Sound』。
完璧に近づこうと努力するが、決して完璧にはならない。それが音楽の、人間の美しさだと
思っている。どちらが良い悪いではない。どちらも同じだけ美しいと思う。
そして、この完璧なる美、『God Made Sound』の世界を、より多くの人に伝えたい!
そういう思いが沸き上がってきた。
それがこれを自分の『仕事』と決めたひとつのきっかけだった。