2009年を振り返って
さてさて、2009年ももう終わりを迎え、新しい年がやってこようとしています。
そんなわけで、毎年恒例の「振り返って」シリーズ2009年度版とまいりましょう。
* * * *
[ 1月 ]
2009年は不思議な年だった。我々の業界は通常、1,2,3月はヒマ、
というのが例年のことなのだが、2009年は1月早々から打ち合わせが
ロスに帰る直前まで続いていた。
そして、2月に2本のライブをやることになったため、ロス滞在の
期間を短くしなければいけなかった。
う〜〜ん、、、珍しい。年明け早々こんなに忙しくなるなんて・・・
そんなことをいつも思っていたように記憶している。
[ 2月 ]
ロスから東京に戻るなり、レクサスの新車発表会でのライブがあった。
この時はNSOとしては初めてダンサーとコラボするということで、
どうなることかと思っていたが、フタを開けてみると、予想以上に
良い出来だった。
それにしてもこの日はバレンタインデーということで、尚之ファンが
山のようにチョコレートを持ってきてくれた。僕と全さんも「義理」の
プレゼントを山のようにもらい、楽屋は紙袋の山だった。
帰りは両手で持てないほどのチョコレートをかかえて、えっちらおっちら
帰ったのを覚えている。
その頃からある施設の人とやりとりが始まり、今まで自分がまったく
知らなかった世界を見る機会に恵まれ、改めて自分のやっていることの
意味や、これからやっていくべきことなどを深く考えさせられた。
[ 4月 ]
気が狂うほどの忙しさだった1,2,3月が終わると、それこそ「パタッ」と
音がするほどヒマになった。この月はラジオに1本出演しただけで、
それ以外はずっと遊んでいたように思う。
日立市のプラネタリウムへNSOの番組を見に行ったのが良い息抜きだった。
そして、月末には3月に仕上げた、高砂さんとのDVDがいよいよ完パケとなり、
無事、発売発表が出来てホッとしたっけ。
[ 5月 ]
4月に引き続き、5月も案外ヒマだったように思う。ただ、打ち合わせが
結構入っていて、毎日誰かと会っていたようだ。
20日にはジョー・高砂DVDの1作目が無事発売となった。
5月の後半からは2作目の制作が始まるのが判っていたから、
その構想を練っていたときだった。というもの、この2作目は水中のシーンが
ほとんどで、それをどう表現するのが良いのか判らず、毎日悩んでいた
ように思う。
[ 6月 ]
6月は忙しい月だった。前半は仕事場にこもってDVD制作、
後半は白金プラネタリウムバーでのトークライブがあり、
その間にラジオの収録が6本もあった。
確かコンピュータが壊れて、大慌てで買いに行き、やっとの思いで
データ復活させるという大騒動があったのもこの月だったと思う。
[ 7月 ]
今月も盛り沢山な月だったので、箇条書きにしてみる。
*「Touch the Wind」の YouTubeでの配信が始まる
*DVD第2弾「Feel the Water」が発売になる
*JFN「ハートオブアロハ」に出演する
*NHKラジオに出演する
*松山大学で講演
*松山ブエナビスタでトークライブ
*奄美大島に皆既日食の森の音を収録に行く
*奄美大島でNHKの元キャスターの宮崎緑さんとトークライブ
*スズメのピーコと出会う
こうやって書き出してみると、本当に忙しい月だったのが判る。
嬉しかったのは、初の全国ネットのラジオ出演となった、NHKの
朝の番組に出たことだろうか。「ラジオ聴きましたよ」と
多くの人から連絡をもらったことからも、やっぱり全国ネットは
すごいな〜、と思ったものだ。
しかし、なんと言っても一番衝撃的だったのは、スズメのピーコに
出会ったことかもしれない。(笑)
[ 8月 ]
この月の大きな出来事は、23日に青山でNSOのライブをやったこと
だろう。2月末にプラネタリウムでライブをやって以来だから、
およそ半年ぶりのライブとなった。本当はもっと頻繁にやりたいのだが、
スケジュールやタイミングがうまく噛みあわず、延び延びになっていた。
この時のライブは光アーティストの松尾さんとの初コラボ。
彼の映し出す映像の美しさは、本当に素晴らしかった。
8月の後半は高砂&ジョーDVDの3枚目の制作に追われていたと思う。
今回はシリーズ最後ということで、特に気合いが入っていたせいか、
時間がかかってしまい、予定されていた発売日を少しずらすことになった。
発売日をずらしてでも作品のクォリティにこだわったジェマティカレコーズには
本当に感謝している。
8月末の僕のブログでソニーとマルイの共同企画CDのお知らせをした。
これは、溝口肇、村松健、日向敏文、中西俊博、高下次郎、松谷卓、
羽毛田丈史、比類いづみ、島田璃里、Arico、G-CEF、等々という
豪華な顔ぶれのアーティストの楽曲を自然の音でつないでいった
作品なのだが、NSOとはまた違う趣で、やっていても楽しかった。
[ 9月 ]
8月末に完了させる予定だったDVD制作が9月初めまでずれこんで、
おかげで時間に追われることなく、じっくりと良いものを作ることが出来た。
振り返ると2008年の6月くらいに最初の打ち合わせをしたように思うので、
1年以上このプロジェクトに関わってきたわけだ。
それが完了した達成感と解放感はかなりなものだった。しかし続いていた
緊張が解き放たれることで、少々の脱力感におそわれたことも事実。
月の後半はなんだか抜け殻のように過ごしたような記憶がある。
[ 10月 ]
この月の最大の出来事は、僕が長年お世話になったSさんが亡くなられた
ことだろう。父を亡くして以来、あまり身近なところで死に出会うことが
なかったこともあり、本当にショックだったのを覚えている。
しかも亡くなられた日が僕の誕生日の翌日。ご命日は一生忘れることはないだろう。
[ 11月 ]
2007年にNSOをスタートさせたとき、最初に拠点としたのは六本木ヒルズにある
MADOラウンジだった。ここで月に1回くらいのペースでライブを続け、
NSOの今のスタイルを作っていった思いでの場所だ。
その2年ぶりのMADOラウンジでのライブは感慨深いものがあった。
東京の夜景をバックに、自然音と音楽、というのはかなりシュールな
情景ではあるのだが、それが不思議とぴったりハマってしまうのが面白い。
またここではやりたいものだ。
そしてもうひとつの大きな出来事は、僕が監修し、関わったプロジェクト
「安心音」が『2009年東京ビジネスサミット』で大賞を受賞したことだ。
プロジェクトリーダーの方に最初に会ったときには、思いが先行しているが、
ノウハウが足りない印象だったのだが、彼女の熱意がそのギャップを埋め、
見事花を咲かせたわけだ。
やはり人の「思い」というのがどれほど力強いものなのかを改めて
実感させてもらった。
[ 12月 ]
12月は静かな月だった。かなりの頻度で明治神宮に出かけ、録音し、
写真を撮った。実はこれから自分の表現手段のなかに、写真というものを
加えていこうと思い、改めて写真を撮る練習を始めていた。
写真を撮ることは、音を録ることにとてもよく似ている。
森を歩きながら、自分にとって「美しい」と感じるものを捕らえる。
写真はその瞬間を、音はその時間を切り取るわけだ。
録音してみると、実際に聞いていた音とは違う風に録れてしまうことが
良くある。というより、実際に聞こえている通りには録れない、
と言う方が正確かも知れない。
同じように、写真に撮ってみると実際に見えていた通りには写らない。
その差を埋めていくのが技術なのだと思う。
今後、この写真と音という2つの表現が合わさった作品となっていったら
いいなと思う。
* * * *
そしていよいよ今年も残すところあとわずか。
この一年を振り返ると、本当に沢山の人に助けられ、支えられながら
過ごしてきたことが良く判る。
皆さん、この一年、本当にありがとうございました。
そして来年も「ジョー奥田」と「NSO」をどうぞよろしくお願いします。