Monthly Archive: 5月 2005

フリッツ君

僕の使っているマイクについて少しお話しよう。
このマイクはちょっと特殊なマイクで、『バイノーラルマイク』という。
これは人間の頭の形をしていて、表面も人間の肌と同じ音の反射具合にしてある。
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そして精密に作られたゴムの耳がついていて、鼓膜の位置に高感度マイクが備え
られている。
fritz_ear.jpg
どうしてこういう形をしているかというと、人間が音の立体感や
音の方向を認知するのは、聞こえてきた音が耳で感知されるときに、その左右の
耳の距離の差により時間差が生じ、それによって脳が立体感や距離感、方向などを
判断する。また、音が顔や耳の形により反射したり、回り込んだり、干渉したりして
鼓膜にたどりつく。そういう人間の聴覚を正確に再現する目的で作られたマイクなのだ。
このマイクで自然音を録音すると、極めて臨場感のある、360度の広がりを持つ
立体的な音が再現できる。このマイクを使って自然音を録っている人は、世界中でも
数少ない。僕がこのマイクを使う理由は、自分が表現したい世界に極めて近い音場を
再現してくれるからだ。僕は、例えば森を録る場合、単体の鳥や風やせせらぎを
録りたいのではなく、全体をひとつのシーンとしてとらえ、それを切り取って
人に伝えたいと思っている。そこに鳥がいて、風が吹き、水が流れ、そういう
シーン、空気感を伝えたいと思っている。そのためにはこのマイクが最適だと
思うので、ずっとこれを使っている。
僕のバイノーラルマイクはドイツのノイマンという会社が作っているKU-100 という
モデルだ。これが結構重い。だからフィールド録音する人には避けられているのかも
しれないが、これで録った自然音はたまらないくらい臨場感がある。
どれくらい臨場感があるか興味のある方は、このブログの「サウンドギャラリー」に
リンクを掲載した「Nagi」の音をヘッドフォンで聴いてみて欲しい。音の良い
ヘッドフォンで聴くと、ぶっとぶくらい生々しい波の音が聴ける。
僕はこのマイクに『フリッツ』という名前をつけた。ドイツでいう『太郎』みたいな
名前だ。フィールドで録音するときは単独行を基本としている僕にとって、唯一の
パートナーと言っていい。彼とは本当にたくさんの旅を共にした。一緒に旅を
重ねるごとに、彼にキャラクターが芽生えて来たように思うことさえある。
ほとんどの場合ひとりで旅をするので、自分の写真より彼の写真の方が圧倒的に多い。
彼の思慮深い、哀愁漂う後ろ姿はなかなかグッとくるものがある。

fritzcover_01s.jpg

*そんな彼の写真ばかり集めたムービーです。
 興味のある方はこの画像をクリックしてみてください。

夜の森

僕は自然音の録音を始めた頃、絶対に夜の森には入らなかった。それは夜の森の怖さを
なんとなくではあるが、知っていたからかもしれない。『夜の森は魔物の世界』と
言われる。ある意味それは正しいと思う。夜の森には夜の森の精がいると思う。
それは自然音の録音を始めたばかりの頃に体験したことが、自分の中で夜の森に
対する畏怖の念として育っていったからだと思う。

それは伊豆大島での出来事だった。
まだ自分でフィールド用の録音機材をそろえたばかりの頃だった。
ある人の紹介で、伊豆大島に住むご夫婦と知りあった。そして僕がやっていることに
とても興味を持たれて、是非大島に遊びに来て下さい、と誘われた。
ひょっとしたらそのときは社交辞令でそう言ってくれたのかもしれないが、
僕はそういうことを真に受ける方だ。来てくれ、と言われたら行ってしまうのだ。
そのご夫婦はとても親切な方達で、社交辞令ではなく、本当に快く向えてくれた。
伊豆大島は人口一万人少々の小さな島だかが、神社やお寺がやたら多い。
その中でも特に気に入った神社があった。小さな神社で、森の奥の方にあるのだが、
なにか自分にぴんと来るものがあったのだろう。そこがとても気に入っていた。
そして、是非満月の夜にその神社で録音したい、と思ったのだ。そしてその夜、
午前4時頃に神社に到着し、木々に囲まれた小さな祠の雨戸を開け、中に入った。
何を考えていたのか、僕はその祠の雨戸を全部取り外し、その真ん中にマイクを
立てた。そしてテープを回し始めた。おかしなことが起きたのはその時だった。
それは、突然ではなく、夜の霧のがやってくるように、ゆっくりとやってきた。
自分がヘンになってきたのだ。まるで自分の中に別の人格が宿ったように、
自分が自分でなく、他の人格が意識を支配し始めた。そして自分が神であると
思い始めた。そして、祠の外を取り囲むように設えられた渡り廊下をゆっくりと
徘徊し始めたのだ。顔は紅潮し、身体が熱くなってきていた。ぐるぐると廊下を
歩き回った後、なんと僕はご神体が奉ってある真正面にどかりと座り込んで
しまった。
そうすると、今度は夜の動物達がぎゃーぎゃーを大きな声をあげ始めた。
そしてだんだん朝の世界が近づいてきた。外は夜の世界と朝の世界の交代劇が
激しいグラデュエーションのように繰り広げられていく。
そうこうするうちに、夜の動物達はねぐらへと戻り、遂には日が昇り、森は鳥達の
さえずりで満たされていく。その一部始終を録音したのだ。
しかし、自分のなかで起きている変化は戻る様子がなかった。ヘンなのだ。
誰かが自分の中にいるのだ。それはその日一日中続いた。

この体験以来、僕は夜の森にはいることを躊躇するようになったのだが、
あの夜の世界と朝の世界のグラデュエーションの美しさと魅力の虜になってしまった。
その後、夜の森にはいるようになったのは、奄美大島に行ってからである。

そのろく

映像の方は素晴らしいものがどんどん撮れていくのだが、音はというとなかなか
録れない。音を録るときは観光客のいない時間帯でないと無理なのだ。
マイクは何百メートルも先の話し声まで拾ってしまうことがあるので、暗いうちに
出発して、明け方頃に録るのが好きだ。
夜の世界から朝の世界に変わっていく、そのグラデュエーションのような時間帯が
最も好きだ。
今日は撮影のロケハンのつもりだったので、どうせ音は録れないだろうと思いつつ、
映像を撮るたびに、録音もしてみた。やはり静寂感を録りたい森などは無理だった。
せせらぎは登山道から離れればなんとか録れた。まあ今日は映像中心でいいだろうと
割り切った。
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太鼓岩への分かれ道の手前まで行き、そして引き返すことにした。
戻りながらまた撮った。帰りは少し遠回りになる原生林歩道から帰ることにした。
これがさらに後で我々を苦しめることになる。
帰り道にはせせらぎがたくさんあった。せせらぎは是非撮りたいもののひとつだったで、
たくさん撮った。なるべく長い時間、フレームを動かさないで写真のように撮って欲しい
と頼んで撮った。ビデオだが写真のような動きの少ない絵にしたかったのだ。
人間は目から入る情報量が増えると、意識が目の方にばかりいき、聴かなくなるからだ。
僕は音を聴いて欲しいのだ。音がメインといってもいい。そんな映像作品にしたかった
のだ。音と映像が同じくらいの比重を持つ、そんな作品にしたかった。
だから、目から入る情報量をコントロールするために、なるべく動きのない映像を
撮りたかった。
撮影班は僕の意志をよく理解してくれて、普通のビデオカメラマンが、やらなければ
気が収まらないくらい必ずやる、パンやズームインズームアウト、といった絵の動きを
極力避けた映像を撮ってくれた。
さてそろそろ帰ろうか、と機材をかたずけ、ザックに仕舞い、山道を帰るのだが、
この遠回りの道、下りだけでは無かった。恐ろしいほどアップダウンがキツイのだ。
いつまでたっても里にたどり着けない。そうこうしているうちにだんだん日が傾いて
くる。時計を見る。地図を見る。
「おい、、、やばいぞ・・・」
そんなことを言ってるうちに疲労が限界に近づいてくる。特に撮影班の疲労は激しい。
体力では誰にもひけをとらないはずのもりもっちゃんが、めちゃくちゃにバテている。
小坂は口がきけなくなってきている。僕のくだらない冗談にも笑えなくなってきている。
僕は僕で、身体が山に慣れてきたとはいえ、辛いにかわりはない。
足が痛い。荷物が肩に食い込む。少し歩いては休み、休んでは歩く。ただただ
これを繰り返すだけだ。
行き道では誰よりも元気だった小坂が完全にへばりはじめた。もりもっちゃんの
顔つきがかわってきた。もう限界だ。それでも歩くしか他に選択肢はない。
ただただ歩く。谷を降りる。また登る。その繰り返しだ。
そして、やっと登山口が見えてきた!
やった〜〜!!
yaku_albm_01.jpg
人間、不思議なもので、そうなるとまたどこからともなく、余分な元気がわいてくる。
元気のリザーブタンクがあるんだね。そのタンクの残り少ない元気をふりしぼって
登山口まで戻った。
もし、今までの人生で辛かったことのランキングを作るとしたら、間違いなく3位には
軽く入るだろうと思うくらい、辛かった。
しかし、美しいものを手に入れた喜びはその何十倍も大きい。

そのご

さあておなかもいっぱいになった我々おとぼけロケ隊、これからどうしようかね、
って話になった。ひとりだったら、お天気も良くないことだし、どうせナンにも
録れないだろうから、宿に戻ってビールでも飲んで寝るか、ってことになるのだが、
これが複数の不思議さ。みんな心では同じことを考えているはずなのに、誰もそれを
口にしない。まだロケも始まったばかりということや、日数に限りがあるということも
あって、じゃあ、ロケハンでもするか、ということになった。

屋久島といえば、森である。森の美しさというと、白谷雲水峡がピカイチに美しい。
白谷林道を車で30分ほど登ると登山口に着く。ここに車を停めて歩くのだが、
ロケハンだけどどうしよう、まあ念のために機材も持っていくか、ということになり、
フル装備の機材を担いで登山口へと向う。そうするとポツリポツリと雨が降り始めた。
まあ、これくらいなんてことないだろうと、にわかアウトドア派的重装備の我々は、
雨具をまとい登山道を歩き始める。
もう最初の10分で、僕は吐き気がしてきた。息はぜえぜえ、汗はだらだら。
「お、お、、お〜い、ちょっと休もう。」
「まだ登り始めたばかりじゃない。あんた自然音録音何年やってんの?」
何年やっていようと辛いものは辛いのだ。特に最初の10分くらいが一番辛い。
普段は裏通りにあるような、飲み屋の急な階段を上がっただけで、はあはあいって
しまうくらいの体力しかないのだ。
でも、この最初の10分を過ぎると、少しづつ身体が山登りを思い出してくる。
ともかく先のことは考えないで、足下だけを見て1歩1歩前に進む。
辛くなったらすぐ休む。基本はこの2点だけだ。
それにしても、カメラ用の大型バックパックに詰めた録音機材が肩にくいこむ。
でも、撮影隊に比べればましな方である。彼らは一昔前のプロ用ビデオカメラくらいの
サイズと重さのハイビジョンカメラに、バッテリーパック6本、モニター、超大型
三脚、などなど、、、とても山登りするような機材の量ではない。
鹿児島空港で彼らの荷物を見て笑ってしまったことが、今笑い事では無くなってきた。
さて、その登山道。一応地図には「歩道」と書いてあるがだまされてはいけない。
コンクリートの平たい「歩道」を想像していたらエライ目にあう。実際あった。
手ぶらで登ってもかなり辛いところを剛力のように機材を担いで登るのだ。
ダイエットになっていいわ、なんて気楽なことを言っていたのがうらめしい。
そんなわけで、ゆっくり休み休み登っていく。3時間ほど登ると白谷小屋があり、
そこでひと休み。それからさらに1時間ほど行くと、『もののけ姫の森』と呼ばれる
森がある。

この『もののけ姫の森』、お察しの通り宮崎駿監督の作品『もののけ姫』のモデルに
なったことから最近そう名付けられたらしいが、やはり地元の自然愛好家の間では
不評をかっているネーミングらしい。ある人などは、観光客に
「『もののけ姫の森はどこですか?』と聞かれたら、そんな森はありません、と答え
ます。」
と言うくらい不評らしい。
そのへんの心理は判らないでもない。今まで自分が愛していたものが、勝手に違う
名前で呼ばれるようになるのは、かなり抵抗があるに違いない。
だが、僕は映画『もののけ姫』は好きだったので、まあそんな名前もアリかな、くらいに
しか思わない。むしろ『ヤクスギランド』の方が、名前としては、おいおい、と思う。
それにしても、気楽なロケハンのつもりが、いつのまにやら本チャンの登山撮影と
なってきた。しかも雨。しかし、後になってこの日頑張ったことが効いてくるのだ。
雨の森の美しさは言葉では言い表わせないほどだ。ため息がでてしまう。
人間が入らないまま何千年も森が育っていくとこうなる、という見本みたいなものだ。
どこを撮っても絵になる。そしてだんだんその美しさに慣れてきてしまうほど、
どこを見てもたまらないほど美しい。

お礼

ブログを始めてまだ1週間だが、その反響にびっくりしている。多くの友人、
仕事関係の人達等に告知はしたのだが、それにしてもこれほどの反響があるとは
思いもしなかった。ずっと連絡をとりあっていなかった旧知の友人たちとも縁が
戻ったりで、ほんとうに嬉しいことだと思っている。来て下さった方々、メールを
下さった方々、掲示板に書き込みをしてくれた方々、本当にありがとうございます。
「継続は力なり」という言葉を心にきざんで、続けていきますので、どうか
ご支援のほど、宜しくお願いします。

そのよん

今日は朝4時集合で朝日を撮るために、島の東側に向けて車を走らせた。
当然あたりはまだ真っ暗。昨夜の焼酎がまだ体内にしっかりと残っている我々
二日酔い3人組は、寝起きのボケも加わって、全員頭はまったくまわっていない。
さて最初に目星をつけていたのは、春田浜海岸。ここは丁度東向きで日が昇って
くる真正面にむいている。なるべく浜に近いところに車を停め、浜に降りてみる。
空は黒い雲で覆われて、風はびゅ〜びゅ〜吹いている。だめじゃん!
明るくなり始める頃まで待ったが、天気は一向に回復せず、雨すらぽつぽつ
落ちてきた。だめだこりゃ。早々に撤収。
ここでビデオ班のふたりは朝飯を食いたい、と言い出した。ふたりとも身体も
大きいしがっちりしている。そんな体格の男だ。もっともな意見だと思う。
しかし、僕は普段朝飯を食わないのだ。まあ、だからといっておまえらも食うな、
というのはあまりにも身勝手なことだと思い、しぶしぶ朝飯案に賛成することにした。
小坂が、「この近くにいわさきホテルありましたよね? あそこで朝飯しませんか?」
どこで調べてきたのか、そういうことだけは良く知ってるな。
いわさきホテルというのは、九州のいわさきグループが建てた大リゾートホテルだ。
素朴な屋久島にはまったく似付かわしくない、恐ろしく『リゾート』なホテルだ。
広大な敷地を誇り、元々あった山を切り崩し、人口の庭園だの散歩道だのを作ってある。
民宿やペンションが主流の屋久島の中にあって、異彩を放つ存在と言ってもいい。
もちろん宿泊代もバリバリ異彩を放つくらい高い。

去年、このホテルに行ってギョ!っとしたのは、そのロビーにそそり立つ縄文杉の
レプリカを見たときだ。なんでもハリウッドの大道具さん(セットクリエーターとか
言うのかな?)に依頼して、縄文杉の樹齢7200年にちなんで、7200万円をかけて
作られたらしい。あぁ〜〜あ。
地元に住む自然を愛する人達は、このレプリカに対してかなり批判的である。
まあそらそうだろうな。確かにサイズや形は本物そっくりでも、見たときの印象は
美人女優とイグアナくらい差があるものな。はっきり言って醜い。
しかし・・・
本物を切って持ってくることから考えれば、レプリカで良かったと思う。
それくらいのアホなことは平気でやりそうな人はいるに違いない。
ひょっとすると、本物を持ってくることを計画したが、物理的に無理ということが
分かり、レプリカで我慢したのかもしれない。いや、きっとそうに違いない!
まあ、そんなわけでそれほど気が進んだわけではないが、可愛いスタッフが飯を
食いたいと言っているのだ。行かないわけにはイカンでしょう。
ホテルに到着した我々は正面玄関からロビーに入り、フロントへと歩を進めた。
ロビーの自動ドアが開いた瞬間から、ホテルの従業員達に緊張の糸が張りつめたのを
感じた。きっと
『オカシナヤツラガキタゾ!』という無言の警報警報が発令されたのだろう。
そんなことにはおかまいなしに、『朝食はどこでとれますか?』と丁寧に訊ね、
場所を確認するとスタスタとレストランに向った。
入り口にはマネージャーらしき男性がにこやかに団体客を招き入れていた。
我々の存在を見つけると同時に、笑顔が凍った。明らかに凍っている。
「あ、あの〜〜、宿泊のお客様ですか?」
「いいえ。朝ご飯食べに来たんですけど、いいですか?」
「あ、あ、、、ど、ど、どうぞ。」
どうやらあまり歓迎されていないようだ。本来なら、ねえもう帰ろうよ、と
言いたいところなのだが、今さら引き返すわけにもいかない。いくら普段朝飯を
食わないとはいえ、うまそうなものを目の前に置かれたら迷わず食ってしまう方である。
朝食はバイキング形式で、和洋共に品ぞろえも豊富で美味しかった。
ビールを頼みたい気持ちを押さえつつ、食事を堪能し、クソ高い勘定を払い、
帰りにニセ縄文杉の前で記念写真を撮った。

そのさん

屋久島の飯は抜群にうまい。まず魚が信じられないくらい美味い!
屋久島は僕が行った場所の中で、おそらく一番水のきれいなところだと思う。
その美しい水が、大量に流れ込む近海で捕れた魚だ。美味くないわけがない。
なんせサバが刺し身で食べれるのだ。いわゆる「首折れサバ」というやつだ。
捕ったその場で首を折り、活け締めにし鮮度を保つ。その日に上がった魚が
すぐに口に入るのだ。トビウオの干物も大好きだ。僕は特別魚好き、というわけでは
ないが、屋久島の魚料理はたまらないほど好きだ。
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それに島で作っている焼酎、『三岳』だ。信じられないほどに澄みきった水と
その水で育った芋で作られる焼酎だ。元々島の人が飲むために作られた焼酎だったのが、
昨今の焼酎ブームのあおりを受けて、島の外の人が大量に仕入れていくものだから、
島の中では完全に三岳が品薄になってしまっていた。それでもどこの飯屋でも
お客さん用にはちゃんと確保している。この三岳とサバの刺し身、それに焼き魚でも
あれば、本当に幸せな夕食となる。
モリモッちゃんは大の魚好きだ。小坂も海のものに目がない方だ。
そして三人とも、酒が大好きだ。仕事の後のビールはうまい!まずビールで
のどを潤しながら、突き出しの小鉢をつつくうちに、刺し身盛りが届けられる。
後は焼酎である。三人で軽く焼酎のハーフボトルが空いてしまう。
それで終わるわけが無く、宿に戻って飲む用に用意した三岳をさらに飲む。
小坂はこういう段取りが抜群にうまい。気がつかないうちに、酒やツマミを
用意して、はいっと出してくれる。素晴らしい!!

しかし、翌朝日の出を録る予定にしていたので、あまりムチャな飲み方はせず、
早々に床についた。明日は4時出発だ。さわやかな三岳の酔いに身を任せ、
深い眠りへと滑り込んでいく。

録音と写真

自然音の話をするときに必ず例にするのが写真である。
ときどき聞かれることなのだが、どんな機材を使って録音しているのですが?
という質問されることがある。そしてそれを教えてあげると、
「じゃあジョーさんと同じ機材を用意して、自然の中で録音すると
同じ音が録れるのですね?」
と言われる。大きな勘違いである。そういうときは、
「じゃあ、あなたがアンセルアダムスと同じカメラを買ってヨセミテ公園に行けば、
彼と同じ写真が撮れると思いますか?」
と答えることにしている。そうすると、必ずみんな「あっ、そうか!」と
気がつくようだ。ただ誤解しないでいただきたいのは、僕は自分が特別すごい
秘密のテクニックを持っているというわけではない。むしろ逆で、録音に関しては
長年スタジオで仕事をしているエンジニアの方の方が、技術ははるかに上のような
気がする。そういうことではなく、あくまで自分と自然の関わりあい方の問題なのだ。
equip_01.jpg
何を録りたいか、どういうときに録音ボタンを押すべきか、ということかもしれない。
それはシャッターを押すタイミングと似ているかも知れない。
それ以外のテクニックといえば、どこにどういうふうにマイクを立てるか、
ということくらいのもので、本当に特別なことでもなんでもない。
誰でも機材の使い方を覚えれば、それなりの音が録れるかもしれない。
それがその人の自然との関係なのだ。それが如実に現れてしまうのが音の世界
というものだと思う。
自分でも昔に録ったものを聞きなおしてみたときに、うあぁ〜〜、ひで〜〜!と
思うことがよくある。それは技術の稚拙さもあるが、やはり自分の自然との関わり方の
問題なのだと思う。ひょっとすると、それを感性と呼ぶのかも知れないが、自分の
耳を研ぎ澄まし、聞こえてくるものをひたすら『聴く』ということが大事だと思う。
自然はほとんどの場合、何かをくれようとしている。そのくれようとしているものを
その時に、きちんと受け取るかどうか、ということのような気がする。
多くの場合、うっかりして受け取り損なうのだ。ああ、しまった、もう一度、というのは
自然には通用しない。一度逃してしまったものは、絶対に還ってこない。
それを惜しんでいるより、次にくれようとするものをもらう用意をしていればいいのだ。
始めた頃はそのへんの呼吸というか、考え方が出来ていなかったのだと思う。
それが少し解り始めたのは、ひとりで夜の森に入るようになってからかもしれない。

そのに

我々を乗せたプロペラ機は、離陸と同時に着陸体勢に入った。まあそれはちょっと
オーバーだが、飛行時間は30分少々なので、ほんとにそんな感じなのだ。
高度が下がるに連れて島の海岸線と真っ青な海がはっきりと見えてくる。
あぁ〜〜、島に戻ってきた! ドキドキしてしまう。
いよいよ屋久島空港に到着だ。タラップを降りて深呼吸すると、優しく暖かい
空気が、都会で汚れた肺の中を清めてくれるような、そんな気持ちになる。
やっぱり島はいいなぁ!
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大量のビデオ機材を受け取って、レンタカー屋さんのお迎えの車に乗り込み、
すぐ目の前の事務所に行き、車を借りる手続きをする。とりあえず、
島の地の利のある僕が運転して、宮ノ浦の町へと向う。
途中屋久島大社に立ち寄り、島の神様にご挨拶する。
これは僕がどこに行っても必ず行なう儀式のようなものだ。
島には島の神様がいる。外から来た人間は、まず島の神様に挨拶をして、
島で音や映像をとることを許してもらう。それが礼儀だと思っている。
それから、屋久島在住の写真家、山下大明さんに会いに行く。山下さんは、
僕が前回島に来た時に知り合った人で、屋久島に長年住んで自然を撮り続けている。
写真集も数多く出されているので、機会があれば是非見てもらいたい。
短期間のロケでは絶対に撮れない素晴らしい写真を撮っている方だ。
我々は山下さんの家を訪れ、ロケーションのアドバイスを受ける。彼は島を
知り尽くしているので、こういう絵を撮りたいのだがと伝えると、それが撮れる
場所を次から次へと地図にマークしてくれた。

限られた日数が惜しい我々は、早速夕景を撮影するために、永田のいなか浜へと
移動した。このいなか浜は僕が大好きな浜のひとつで、撮影候補のまっさきに
考えていた場所だ。丁度日没の1時間以上前に到着出来たので、日が沈む角度を
確かめながら、撮影スポットを探しまわる。
夕日は今回のメインとなる大切な絵だ。僕は太陽が海に沈んで行く景色を延々と
撮り、それをバイノーラルで録る波の音に合わせたかったのだ。
いよいよ日が落ちてきた。あれれれ? いかん! 雲が厚過ぎる!
それに水平線が靄でかすんでいる。あららら、、、太陽が水平線に消えていく
はるか前に、雲の中に落ちていってしまった。
あぁ〜〜あ、、、だめじゃん!!
後で見てみると、それはそれで十分綺麗なのだが、自分がイメージしていた絵とは
少し違っていた。まあいいか、初日だし。明日またトライしよう。
さっさと機材を撤収した我々は、一路飯屋へと車を飛ばした。
*山下大明さんの写真集の情報はこちらから 。