自然音の録音を始めてもうずいぶんになるが、人に自然音のCDを作っています、
というと必ず訊かれることがあった。
『映像はないのですか?』
そう言われるたびに、
『はい。僕は音を聴いてもらいたいので、絵はあえてつけないことにしています。』
と答えていた。
それはもちろん本音なのだが、もともと映像も大好きなので、いつかは映像の
ついた作品を作りたいとは思っていた。だけど、自然の映像の難しさも判っていた。
というのは、それまで数多くの自然を扱ったビデオやDVDを見ていたが、心に
残る物がなにもなかった。
どうしてビデオで撮るとあの美しい自然の感動がちゃちいものになってしまうのだろう?
どうして、夜中の天気予報のように、安っぽいものになってしまうのだろう?
自然の美しさを映像でも伝えたい、いったいどうすれば・・・
これは長年の課題だった。そして自分なりに考えて、いろんな方法を模索していた。
ひとつの鍵は、目から入る情報を制限することだった。
人間の知覚は、正確には解らないが、相当のウェートが目から入る情報に偏る傾向に
ある。それは知っていた。人間は目から入る情報を重視する。
目と耳と両方から入る情報に対しても、その注意力のほとんどは目に集中する。
僕はなんとかもっと音を聴いてもらいたかった。
あるとき、自然の写真ばかり撮っているカメラマンの作品のスライドショーを
見た。そのときバックで音楽も流れていたのだが、それはそれは素晴らしい作品だった。
自然の美しさがストレートに心に届いてきた。写真は動かない。だからいいのだ。
そのことに気がついた。ビデオは情報量が多過ぎるのだ。ビデオを作る人は映像
だけで、見るひとが退屈しないように、数多くのカットを使う。
それは自然を楽しむテンポ感とはかけ離れているのだ。
カット数を極力減らし、ひとつのカットを出来るだけ長く見せる。カメラを
動かさない。そうすることで、目から入る情報量を制限し、目と耳との情報量の
バランスをとってみようと思った。
今回の屋久島のビデオではそれを初めて試すことが出来た。
多くの人が共鳴してくれた。感動してくれた。それが嬉しかった。
ハイビジョンの映像は素晴らしく美しい。静止したカットでもじっと見ていても
飽きるどころか、引き込まれていくほど美しい。そこに自然音でストーリを構成し、
音楽を少しだけ加えてみた。そこには自分が長年頭のなかで思い描いていた世界が
広がっていた。
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大川の滝を下ったところにある小さな入り江での夕日。
素晴らしく美しかった。
なんて綺麗な夕日なのでしょう!
癒されるねぇ。
この入り江に座って冷えたビール飲みながらこの夕日を見れたら最高だろうねぇ。
この日の夕日は格別にきれいだったよ。
この浜は滝のすぐ下流で、岩山に囲まれた本当にちいさな浜。
だからあまり、というかほとんど人もこなくていい感じだよ。
冷えたビール、と〜ぜんやりましたがな!
心がとろけそうになりました。^_^