そのはち

以前にもお話ししたが、屋久島の飯は抜群に美味い。そんなわけで、一同夕食は
最大の楽しみといって良かった。居酒屋系のお店が多いなかで、島に1軒だけ
寿司屋がある。『若潮』というお店である。
今夜は寿司食いに行こうということになり、3人そろってウキウキと出かけた。

僕は去年来たときに一度だけ行ったことがあった。カウンターが空いていたので
並んで座る。生ビールを頼んで突き出しをつつきながら、のどを潤す。
親父さんが、「お客さん、去年もいらしてましたよね?」と聞く。
「はい。でも良く覚えていらっしゃいましたね。」
実はこのやりとりは島に来てからあちこちで何度も繰り返された。空港にある
土産物屋のおばさんにまでそう言われた。どうも一度会うと覚えられてしまう
タイプのようだ。僕はどこでもそうなのだが、特に島に行ったときは、なるべく
土地のひとと仲良くするようにしている。道ですれ違ったおばあさんとかにも
挨拶をする。それが島の外から来た人間の礼儀だと思っている。
それに島の人と仲良くなることで、いろんなことを教えてもらえる。地元の人の
情報はとても貴重なのだ。
そんなわけで、若潮の親父さんも覚えていてくれた。この親父さんは栗生という
集落の出身だそうだ。栗生には浜がある。数ある屋久島の浜の中で、僕はこの栗生の
浜の音が一番好きだ。本当に優しいいい音がする。ただ栗生は屋久島の中でも最も
宮ノ浦の町から遠い集落だ。だからあまり開発されておらず、昔の島の暮らしが
よくうかがえる。それも栗生が好きな理由のひとつでもある。
そのことを親父さんに言うと、本当に嬉しそうに喜んでくれた。栗生は観光客が来る
ところでも無いし、島の外の人間が栗生のことを好きだと行ってくれたのがよほど
嬉しかったのだろう。親父さんは、ちょっと待ってな、というと厨房にひっこみ、
次々といろんな料理を作っては出してくれた。もちろん僕らはかたっぱしからたいらげ
ながら、三岳をしこたま飲んだ。島のひととのふれあうのは本当に楽しい。
(注)この『屋久島ロケ日記』は2005年4月1日から4月12日の間に
行なったロケの記録を元に書き起こしています。

そのなな

さて昨日は、山登りの達成感といい仕事をしたという満足感から、夜は酒盛りだ。
とはいえ、達成感や満足感が無くても酒盛りをしているじゃないか、と言われれば
その通りなのだが。そんなわけで、スタッフ一同、といっても僕を含めて3名は
またもや『潮騒』へ。いつも通りの刺し身ー焼き物ーその他多数のツマミ系+生ビールー
三岳、というお決まりのコースをひと通りこなし、宿へと戻る。
さすがに疲れていたので、一同速攻でふとんに入り3秒で爆睡。
僕のお決まりの夜明け前出発も明日はなし、と決めていた。
そんなことをしてたら死んでしまう。
朝は爽やかに目覚めて、、、と言いたいところだが、身体のあちこちが痛い。
足はどういうわけか痛くないのだが、腰が張っていた。重い荷物は腰にくる。
もりもっちゃんは、足が筋肉痛でたいへんらしい。だから僕と小坂の足が痛くない、
というのが気に入らないようだ。
『ええ? ホント? おかしいなぁ〜〜、オレ足カチカチだぞ、みんなもそうだろ?
え? 違うの? おかしいなぁ〜、ミエ張ってない?』
と、しきりに繰り返す。もりもっちゃんは高校時代サッカー選手だったので、
身体はガッチリしているし、いかにも元体育会系という感じがする。
そんな彼だけが筋肉痛になっているのが不思議だった。
『それはね、もりもっちゃん、僕らは筋肉痛になるような筋肉そのものがないから
筋肉痛にならないんだよ、きっと』と言うと、『そうか、そうだな。』と
納得していた。

さてそんなわけで、今日はちょっと楽しような、ということで夕景のロケハンと
途中目に付いたものは撮る、ということで出発。西部林道から大川の滝あたりを
走り回りロケハンをした。お、ここはいいね〜、という川があったので機材を
降ろして撮影を始める。僕も録音機材をかついで、川のあちこちを歩き回り、
ほど良いスポットを探し回る。右手には三脚にセットしたバイノーラルマイク、
背中にはレコーダー、ケーブルなどを詰めたバックパックを背負って川を横切るため
石伝いに行こうとしたとき、ぬるっ! 濡れた石は苔で滑るのであぶない、という
基本を忘れ、うっかり濡れた石に足を置いたその瞬間だった。
すてーんと見事に転んでしまった。その1メートルほど下は崖のようになっていて、
転び方次第では下まで転がり落ちるところだった。あぶねぇ〜〜!
その転んだときに右手はマイクのついた三脚を持っていたので、反射的に左手を
ついた。マイクは濡らさずにすんだが、おかげで全体中プラス機材の重みが左手に
かかってしまった。もうかれこれひと月以上になるが、左手はまだ痛い。
(注)この『屋久島ロケ日記』は2005年4月1日から4月12日の間に
行なったロケの記録を元に書き起こしています。

対談

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先日、『オーディオアクセサリー』や『AVレビュー』という有名なオーディオ関係の
雑誌を出版している音元出版の企画で、石田善之さんと対談した。
石田さんは、その道の権威と言われる方で、僕も雑誌で何度か記事を拝見したことが
あったので、ちょっと緊張したが、石田さんはとても紳士的な方で、僕の話を丁寧に
聞いて下さった。
自然音を録音するようになったきっかけ、フィールド録音の話、使用している機材の話、
などなど話題は多岐にわたり、とても楽しい時間を過ごさせていただいた。
石田さんご自身もフィールドでの録音をされるので、そういう方とのお話は本当に
楽しい。自然音の話をし始めると、どんどん話題が広がって、あっという間に
予定の時間を過ぎてしまい、後でしゃべり過ぎたのではと少し反省。
このときの話は6月15日発売の『アナログ』という雑誌に掲載されることになって
いるので、興味のある方は是非読んで見て下さい。
読者プレゼントとして、これから発売予定の『Yakushima』のCDも応募者の方
10名に差し上げることになっているので、どうかお楽しみに。

*『Analog』(アナログ)

『Memory of the Earth』

いよいよ屋久島ビデオ作品の仕上げの段階となった。
間にゴールデンウィークがはさまったこともあって、ほぼひと月間、この作業に
かかりっきりだったのだが、自分でも満足のいく仕上がりになったし、見て下さった
方々からもたくさんのお褒めの言葉をいただいた。
作品のタイトルは、
『Memory of the Earth ー 美しき地球の記憶』
この作品をより多くの方に見ていただきたいのだが、ハイビジョン映像+5.1 サラウンド
で再生出来る環境がないと、この作品の持つ本当の深い部分はなかなか伝わりにくいと
思うので、そのへんが今、一番の悩みかもしれない。
いずれ上映会のようなものも出来ればと思っているのだが、もしそのような環境を
ご用意いただけるのなら、いつでも出向いて行くつもりなので、どうかご遠慮なく
お声をかけていただきたい。

フリッツ君

僕の使っているマイクについて少しお話しよう。
このマイクはちょっと特殊なマイクで、『バイノーラルマイク』という。
これは人間の頭の形をしていて、表面も人間の肌と同じ音の反射具合にしてある。
fritz_head_01.jpg
そして精密に作られたゴムの耳がついていて、鼓膜の位置に高感度マイクが備え
られている。
fritz_ear.jpg
どうしてこういう形をしているかというと、人間が音の立体感や
音の方向を認知するのは、聞こえてきた音が耳で感知されるときに、その左右の
耳の距離の差により時間差が生じ、それによって脳が立体感や距離感、方向などを
判断する。また、音が顔や耳の形により反射したり、回り込んだり、干渉したりして
鼓膜にたどりつく。そういう人間の聴覚を正確に再現する目的で作られたマイクなのだ。
このマイクで自然音を録音すると、極めて臨場感のある、360度の広がりを持つ
立体的な音が再現できる。このマイクを使って自然音を録っている人は、世界中でも
数少ない。僕がこのマイクを使う理由は、自分が表現したい世界に極めて近い音場を
再現してくれるからだ。僕は、例えば森を録る場合、単体の鳥や風やせせらぎを
録りたいのではなく、全体をひとつのシーンとしてとらえ、それを切り取って
人に伝えたいと思っている。そこに鳥がいて、風が吹き、水が流れ、そういう
シーン、空気感を伝えたいと思っている。そのためにはこのマイクが最適だと
思うので、ずっとこれを使っている。
僕のバイノーラルマイクはドイツのノイマンという会社が作っているKU-100 という
モデルだ。これが結構重い。だからフィールド録音する人には避けられているのかも
しれないが、これで録った自然音はたまらないくらい臨場感がある。
どれくらい臨場感があるか興味のある方は、このブログの「サウンドギャラリー」に
リンクを掲載した「Nagi」の音をヘッドフォンで聴いてみて欲しい。音の良い
ヘッドフォンで聴くと、ぶっとぶくらい生々しい波の音が聴ける。
僕はこのマイクに『フリッツ』という名前をつけた。ドイツでいう『太郎』みたいな
名前だ。フィールドで録音するときは単独行を基本としている僕にとって、唯一の
パートナーと言っていい。彼とは本当にたくさんの旅を共にした。一緒に旅を
重ねるごとに、彼にキャラクターが芽生えて来たように思うことさえある。
ほとんどの場合ひとりで旅をするので、自分の写真より彼の写真の方が圧倒的に多い。
彼の思慮深い、哀愁漂う後ろ姿はなかなかグッとくるものがある。

fritzcover_01s.jpg

*そんな彼の写真ばかり集めたムービーです。
 興味のある方はこの画像をクリックしてみてください。

夜の森

僕は自然音の録音を始めた頃、絶対に夜の森には入らなかった。それは夜の森の怖さを
なんとなくではあるが、知っていたからかもしれない。『夜の森は魔物の世界』と
言われる。ある意味それは正しいと思う。夜の森には夜の森の精がいると思う。
それは自然音の録音を始めたばかりの頃に体験したことが、自分の中で夜の森に
対する畏怖の念として育っていったからだと思う。

それは伊豆大島での出来事だった。
まだ自分でフィールド用の録音機材をそろえたばかりの頃だった。
ある人の紹介で、伊豆大島に住むご夫婦と知りあった。そして僕がやっていることに
とても興味を持たれて、是非大島に遊びに来て下さい、と誘われた。
ひょっとしたらそのときは社交辞令でそう言ってくれたのかもしれないが、
僕はそういうことを真に受ける方だ。来てくれ、と言われたら行ってしまうのだ。
そのご夫婦はとても親切な方達で、社交辞令ではなく、本当に快く向えてくれた。
伊豆大島は人口一万人少々の小さな島だかが、神社やお寺がやたら多い。
その中でも特に気に入った神社があった。小さな神社で、森の奥の方にあるのだが、
なにか自分にぴんと来るものがあったのだろう。そこがとても気に入っていた。
そして、是非満月の夜にその神社で録音したい、と思ったのだ。そしてその夜、
午前4時頃に神社に到着し、木々に囲まれた小さな祠の雨戸を開け、中に入った。
何を考えていたのか、僕はその祠の雨戸を全部取り外し、その真ん中にマイクを
立てた。そしてテープを回し始めた。おかしなことが起きたのはその時だった。
それは、突然ではなく、夜の霧のがやってくるように、ゆっくりとやってきた。
自分がヘンになってきたのだ。まるで自分の中に別の人格が宿ったように、
自分が自分でなく、他の人格が意識を支配し始めた。そして自分が神であると
思い始めた。そして、祠の外を取り囲むように設えられた渡り廊下をゆっくりと
徘徊し始めたのだ。顔は紅潮し、身体が熱くなってきていた。ぐるぐると廊下を
歩き回った後、なんと僕はご神体が奉ってある真正面にどかりと座り込んで
しまった。
そうすると、今度は夜の動物達がぎゃーぎゃーを大きな声をあげ始めた。
そしてだんだん朝の世界が近づいてきた。外は夜の世界と朝の世界の交代劇が
激しいグラデュエーションのように繰り広げられていく。
そうこうするうちに、夜の動物達はねぐらへと戻り、遂には日が昇り、森は鳥達の
さえずりで満たされていく。その一部始終を録音したのだ。
しかし、自分のなかで起きている変化は戻る様子がなかった。ヘンなのだ。
誰かが自分の中にいるのだ。それはその日一日中続いた。

この体験以来、僕は夜の森にはいることを躊躇するようになったのだが、
あの夜の世界と朝の世界のグラデュエーションの美しさと魅力の虜になってしまった。
その後、夜の森にはいるようになったのは、奄美大島に行ってからである。

そのろく

映像の方は素晴らしいものがどんどん撮れていくのだが、音はというとなかなか
録れない。音を録るときは観光客のいない時間帯でないと無理なのだ。
マイクは何百メートルも先の話し声まで拾ってしまうことがあるので、暗いうちに
出発して、明け方頃に録るのが好きだ。
夜の世界から朝の世界に変わっていく、そのグラデュエーションのような時間帯が
最も好きだ。
今日は撮影のロケハンのつもりだったので、どうせ音は録れないだろうと思いつつ、
映像を撮るたびに、録音もしてみた。やはり静寂感を録りたい森などは無理だった。
せせらぎは登山道から離れればなんとか録れた。まあ今日は映像中心でいいだろうと
割り切った。
yaku_mori_03.jpg
太鼓岩への分かれ道の手前まで行き、そして引き返すことにした。
戻りながらまた撮った。帰りは少し遠回りになる原生林歩道から帰ることにした。
これがさらに後で我々を苦しめることになる。
帰り道にはせせらぎがたくさんあった。せせらぎは是非撮りたいもののひとつだったで、
たくさん撮った。なるべく長い時間、フレームを動かさないで写真のように撮って欲しい
と頼んで撮った。ビデオだが写真のような動きの少ない絵にしたかったのだ。
人間は目から入る情報量が増えると、意識が目の方にばかりいき、聴かなくなるからだ。
僕は音を聴いて欲しいのだ。音がメインといってもいい。そんな映像作品にしたかった
のだ。音と映像が同じくらいの比重を持つ、そんな作品にしたかった。
だから、目から入る情報量をコントロールするために、なるべく動きのない映像を
撮りたかった。
撮影班は僕の意志をよく理解してくれて、普通のビデオカメラマンが、やらなければ
気が収まらないくらい必ずやる、パンやズームインズームアウト、といった絵の動きを
極力避けた映像を撮ってくれた。
さてそろそろ帰ろうか、と機材をかたずけ、ザックに仕舞い、山道を帰るのだが、
この遠回りの道、下りだけでは無かった。恐ろしいほどアップダウンがキツイのだ。
いつまでたっても里にたどり着けない。そうこうしているうちにだんだん日が傾いて
くる。時計を見る。地図を見る。
「おい、、、やばいぞ・・・」
そんなことを言ってるうちに疲労が限界に近づいてくる。特に撮影班の疲労は激しい。
体力では誰にもひけをとらないはずのもりもっちゃんが、めちゃくちゃにバテている。
小坂は口がきけなくなってきている。僕のくだらない冗談にも笑えなくなってきている。
僕は僕で、身体が山に慣れてきたとはいえ、辛いにかわりはない。
足が痛い。荷物が肩に食い込む。少し歩いては休み、休んでは歩く。ただただ
これを繰り返すだけだ。
行き道では誰よりも元気だった小坂が完全にへばりはじめた。もりもっちゃんの
顔つきがかわってきた。もう限界だ。それでも歩くしか他に選択肢はない。
ただただ歩く。谷を降りる。また登る。その繰り返しだ。
そして、やっと登山口が見えてきた!
やった〜〜!!
yaku_albm_01.jpg
人間、不思議なもので、そうなるとまたどこからともなく、余分な元気がわいてくる。
元気のリザーブタンクがあるんだね。そのタンクの残り少ない元気をふりしぼって
登山口まで戻った。
もし、今までの人生で辛かったことのランキングを作るとしたら、間違いなく3位には
軽く入るだろうと思うくらい、辛かった。
しかし、美しいものを手に入れた喜びはその何十倍も大きい。

そのご

さあておなかもいっぱいになった我々おとぼけロケ隊、これからどうしようかね、
って話になった。ひとりだったら、お天気も良くないことだし、どうせナンにも
録れないだろうから、宿に戻ってビールでも飲んで寝るか、ってことになるのだが、
これが複数の不思議さ。みんな心では同じことを考えているはずなのに、誰もそれを
口にしない。まだロケも始まったばかりということや、日数に限りがあるということも
あって、じゃあ、ロケハンでもするか、ということになった。

屋久島といえば、森である。森の美しさというと、白谷雲水峡がピカイチに美しい。
白谷林道を車で30分ほど登ると登山口に着く。ここに車を停めて歩くのだが、
ロケハンだけどどうしよう、まあ念のために機材も持っていくか、ということになり、
フル装備の機材を担いで登山口へと向う。そうするとポツリポツリと雨が降り始めた。
まあ、これくらいなんてことないだろうと、にわかアウトドア派的重装備の我々は、
雨具をまとい登山道を歩き始める。
もう最初の10分で、僕は吐き気がしてきた。息はぜえぜえ、汗はだらだら。
「お、お、、お〜い、ちょっと休もう。」
「まだ登り始めたばかりじゃない。あんた自然音録音何年やってんの?」
何年やっていようと辛いものは辛いのだ。特に最初の10分くらいが一番辛い。
普段は裏通りにあるような、飲み屋の急な階段を上がっただけで、はあはあいって
しまうくらいの体力しかないのだ。
でも、この最初の10分を過ぎると、少しづつ身体が山登りを思い出してくる。
ともかく先のことは考えないで、足下だけを見て1歩1歩前に進む。
辛くなったらすぐ休む。基本はこの2点だけだ。
それにしても、カメラ用の大型バックパックに詰めた録音機材が肩にくいこむ。
でも、撮影隊に比べればましな方である。彼らは一昔前のプロ用ビデオカメラくらいの
サイズと重さのハイビジョンカメラに、バッテリーパック6本、モニター、超大型
三脚、などなど、、、とても山登りするような機材の量ではない。
鹿児島空港で彼らの荷物を見て笑ってしまったことが、今笑い事では無くなってきた。
さて、その登山道。一応地図には「歩道」と書いてあるがだまされてはいけない。
コンクリートの平たい「歩道」を想像していたらエライ目にあう。実際あった。
手ぶらで登ってもかなり辛いところを剛力のように機材を担いで登るのだ。
ダイエットになっていいわ、なんて気楽なことを言っていたのがうらめしい。
そんなわけで、ゆっくり休み休み登っていく。3時間ほど登ると白谷小屋があり、
そこでひと休み。それからさらに1時間ほど行くと、『もののけ姫の森』と呼ばれる
森がある。

この『もののけ姫の森』、お察しの通り宮崎駿監督の作品『もののけ姫』のモデルに
なったことから最近そう名付けられたらしいが、やはり地元の自然愛好家の間では
不評をかっているネーミングらしい。ある人などは、観光客に
「『もののけ姫の森はどこですか?』と聞かれたら、そんな森はありません、と答え
ます。」
と言うくらい不評らしい。
そのへんの心理は判らないでもない。今まで自分が愛していたものが、勝手に違う
名前で呼ばれるようになるのは、かなり抵抗があるに違いない。
だが、僕は映画『もののけ姫』は好きだったので、まあそんな名前もアリかな、くらいに
しか思わない。むしろ『ヤクスギランド』の方が、名前としては、おいおい、と思う。
それにしても、気楽なロケハンのつもりが、いつのまにやら本チャンの登山撮影と
なってきた。しかも雨。しかし、後になってこの日頑張ったことが効いてくるのだ。
雨の森の美しさは言葉では言い表わせないほどだ。ため息がでてしまう。
人間が入らないまま何千年も森が育っていくとこうなる、という見本みたいなものだ。
どこを撮っても絵になる。そしてだんだんその美しさに慣れてきてしまうほど、
どこを見てもたまらないほど美しい。

お礼

ブログを始めてまだ1週間だが、その反響にびっくりしている。多くの友人、
仕事関係の人達等に告知はしたのだが、それにしてもこれほどの反響があるとは
思いもしなかった。ずっと連絡をとりあっていなかった旧知の友人たちとも縁が
戻ったりで、ほんとうに嬉しいことだと思っている。来て下さった方々、メールを
下さった方々、掲示板に書き込みをしてくれた方々、本当にありがとうございます。
「継続は力なり」という言葉を心にきざんで、続けていきますので、どうか
ご支援のほど、宜しくお願いします。