ちょうど日本で自分のレーベルを立ち上げ、1作目のCD『川へ帰ろうー四万十川』を
リリースした後に、ある仕事で沖縄に行くことになった。僕にとっては初めての沖縄への
旅で、本当に楽しかったのだが、行く前から会いたいと思っていた人がいた。
喜納昌吉さんだ。僕は喜納さんとは面識は無かったのだが、その音楽は大好きで、
特にあの大ヒット曲「花」は何回聞いてもうっとりしてしまうくらい大好きだった。
そんなわけで、喜納さんに会いたかったのだが、もちろんつてもなにもなく、
ただただ、あぁ〜〜会えたらいいなぁ〜〜、くらいに思っていた。
ある日、ひとりで早めの夕食をすませ、国際通りをぶらぶらしていたら、琉球の衣装を
まとった女性が道端でビラ巻きをしていた。一枚もらってみると、喜納さんのライブの
告知だった。
「えっ? どこでやっているの?」とその女の子に聞いたら、
「このビルだよ。」とすぐ前のビルを指さした。
そこは喜納さんが経営する『チャクラ』というライブハウスだったのだ。
もう行くしかないでしょ!
すぐにエレベーターで上がり、入り口で入場料を払い、ライブハウスの中に入った。
沖縄民謡や沖縄舞踊などに続いて、いよいよ喜納昌吉とチャンプルーズの演奏が
始まった。その演奏の素晴らしさ、喜納さんの強烈なオーラ、存在感、グルーブの強さ、
、、、もう完全にノックアウトされたね、ホントに。
ライブがあまりにも素晴らしかったので、演奏が終わった後、お店の出口あたりで
立ち話をしていた喜納さんを見つけ、話しかけに行った。
『喜納さん、本当に良かったです。素晴らしかったですよ!』
みたいなことを言ったと思う。喜納さんは
『ありがとう。どちらから来られたんですか?お仕事ですか?』と聞くので、
『ロサンゼルスから来ました。沖縄の自然の音を録音しに来たんです。』と答えた。
喜納さんは、『へぇ〜〜、面白いことやってるねえ。ちょっとこっちにおいでよ。』と
側にあったテーブルの方に招いてくれて、ビールをご馳走になり、一緒に飲みながら
話をした。僕が、どんなことをやっているか、とかいろんな話をしたように思う。
そのときは、会いたい、と思っていた人に会えた嬉しさであがってしまい、
何を話したのか忘れてしまったが、ひとつだけはっきりと覚えていることがある。
喜納さんは、沖縄の本当の平和についての思いを話してくれていたのだが、そのときに
『奄美と沖縄が、薩摩に攻められて、めちゃくちゃにされるその前の時代のように、
手をとりあって強い絆をつくらないと、本当の沖縄ー奄美の平和はやってこない。』
ということを、本当に熱く語っていたのだ。
そのとき、僕は奄美大島の位置すら正確に知らなかった頃だったのだが、
奄美かあ、、、ふぅ〜ん、、、そうかあ、、、奄美かあ、、、と、
『奄美大島』という言葉がキーワードのように頭にこびりついた。
↑そのとき喜納さんにもらったTシャツ
↑* Tシャツの表の模様のアップ。大きな丸は地球の意味。白、黒、赤、黄色の
小さな丸は、それぞれの色の人種を表すそうだ。それぞれの人種が地球で平和に
共存する、という意味らしい。
その下にある絵文字は、アメリカインディアンのホピ族に伝わるもので、
このシンプルな文字列は、人類の過去、未来を予言した、壮大な意味が
込められているらしい。
(詳しいことは忘れてしまった。知っている人がいれば教えて欲しい。)
↑* Tシャツの裏。喜納さんのメッセージ。
今ある武器を全部溶かして、それで楽器を作って、平和な世界にしよう、という
強い思いが込められている。
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喜納さんと話をしていて、彼の平和への強い思いと情熱に心をうたれた。
実はもうひとつ喜納さんが言ったことで頭に残っていることがある。
琉球の文化と大和の文化の違いについて話をしているときに、喜納さんがこう言った。
『琉球では、どこの家でも床の間に三線(サンシン)を飾ってあり、人が集まると
それを弾いて唄って踊るんですよ。でも、大和の国では刀を飾るでしょ?
琉球では楽器を飾る。大和では武器を飾る。それが大きな違いなんですよ。』
僕は彼のこの言葉を一生忘れることは無いと思う。
”今ある武器を楽器に”
なんてすばらしいメッセージなのでしょう。
本当にそうしたいよね。
最初 池上で この Tシャツ 見て びっくり
喜納さんの オリジナル
「すべての武器を楽器に」 素晴らしいよね
一昨夜は 楽しかったね
何だか 興奮 冷めやらぬ 書き込みしました
>本当にそうしたいよね。
ホントだね。いつかそういうときが来るといいね。。。
>最初 池上で この Tシャツ 見て びっくり
このTシャツのことを知っててくれる人がいたなんて、びっくり!!
ホント嬉しかったですよ〜〜!!
いや〜、ホント楽しい夜でしたね。また飲みましょうね!!