自然音の話をするときに必ず例にするのが写真である。
ときどき聞かれることなのだが、どんな機材を使って録音しているのですが?
という質問されることがある。そしてそれを教えてあげると、
「じゃあジョーさんと同じ機材を用意して、自然の中で録音すると
同じ音が録れるのですね?」
と言われる。大きな勘違いである。そういうときは、
「じゃあ、あなたがアンセルアダムスと同じカメラを買ってヨセミテ公園に行けば、
彼と同じ写真が撮れると思いますか?」
と答えることにしている。そうすると、必ずみんな「あっ、そうか!」と
気がつくようだ。ただ誤解しないでいただきたいのは、僕は自分が特別すごい
秘密のテクニックを持っているというわけではない。むしろ逆で、録音に関しては
長年スタジオで仕事をしているエンジニアの方の方が、技術ははるかに上のような
気がする。そういうことではなく、あくまで自分と自然の関わりあい方の問題なのだ。
何を録りたいか、どういうときに録音ボタンを押すべきか、ということかもしれない。
それはシャッターを押すタイミングと似ているかも知れない。
それ以外のテクニックといえば、どこにどういうふうにマイクを立てるか、
ということくらいのもので、本当に特別なことでもなんでもない。
誰でも機材の使い方を覚えれば、それなりの音が録れるかもしれない。
それがその人の自然との関係なのだ。それが如実に現れてしまうのが音の世界
というものだと思う。
自分でも昔に録ったものを聞きなおしてみたときに、うあぁ〜〜、ひで〜〜!と
思うことがよくある。それは技術の稚拙さもあるが、やはり自分の自然との関わり方の
問題なのだと思う。ひょっとすると、それを感性と呼ぶのかも知れないが、自分の
耳を研ぎ澄まし、聞こえてくるものをひたすら『聴く』ということが大事だと思う。
自然はほとんどの場合、何かをくれようとしている。そのくれようとしているものを
その時に、きちんと受け取るかどうか、ということのような気がする。
多くの場合、うっかりして受け取り損なうのだ。ああ、しまった、もう一度、というのは
自然には通用しない。一度逃してしまったものは、絶対に還ってこない。
それを惜しんでいるより、次にくれようとするものをもらう用意をしていればいいのだ。
始めた頃はそのへんの呼吸というか、考え方が出来ていなかったのだと思う。
それが少し解り始めたのは、ひとりで夜の森に入るようになってからかもしれない。
はぁい、自然音録らせたら世界一のジョー先輩っす。
なにせいろんな事経験してますからね。歯も治せますからね。
一人で夜の森の中に入って迷子にならないでね。
あ! maiちゃん、来てくれてありがとう!
僕の留守中、ロスのシキリ、よろしくだす!!